みなさんは漫画家のヤマザキマリさんをご存知でしょうか?
「テルマエ・ロマエ」の原作者といえばお分かりの方も居るのではないでしょうか?
私も阿部寛さん主演の映画「テルマエ・ロマエ」みましたが、何回みても面白い!!
こんなお話考えるの一体どんな人なんだろう?とずっと思っていました。
そこで、ヤマザキマリさんについて知らべてみることにしたのですが、こんなに人生ぶっ飛んだ人いるんだ~!っていうくらい私からしたら波乱万丈過ぎてビックリでした!
今回はそんなヤマザキマリさんの年下イタリア人夫との馴れ初めや、息子はイケメンハーフなのか?また過去にあった炎上騒動で離婚危機があった?など盛りだくさんでお届けしたいと思います!
もうその人生が映画にでもなるんじゃないか?くらい濃いです!
それではいってみましょう~♪
ヤマザキマリの生い立ちや経歴が波乱万丈過ぎる!
どれだけ人生が波乱万丈だったのか気になるところではありますが、まずはヤマザキマリさんのプロフィールからご紹介します。
ヤマザキマリ
生年月日:1967年4月20日(53歳)
出生地:東京都
居住地:イタリア共和国
職業:漫画家・随筆家
代表作:テルマエ・ロマエ
所属:株式会社CRG(クリエイティブ・ガーディアン)
ヤマザキマリさんは、ヴィオラ奏者の母親と指揮者の父親との間に生まれます。
お母さんである涼子さんは札幌交響楽団に在籍していたこともあり、幼少期は北海道千歳市で過ごします。
しかしお父さんは早くに亡くなってしまい、再婚した継父(のち離婚)との間に生まれた2歳下の妹とともに女で一つで育てられました。
音楽家でもあるお母さんは、とてもおおらかで「常識」や「世間体」というものには一切とらわれない破天荒なタイプだそう。
ヴィオラ奏者としての仕事で家をあけることも多かった母親に変わり、ヤマザキマリさんが妹の保育園のお迎えに行ったり、面倒をみたりなど、子供二人きりで過ごすことも多く、自立するのも早かったといいます。
音楽家の両親の影響で、幼い頃からヴァイオリンやピアノを習っていたヤマザキマリさんですが、ご自身は音楽よりも絵やお話を作ることが大好きで紙芝居を作って遊んでいました。
また昆虫も大好きで、初めて買った本は小学館の昆虫図鑑。
今でもヤマザキマリさんのインスタには沢山の昆虫がアップされていますよ~。
代々カトリック教だった母親の影響で、学校はミッション・スクールに通っていました。
14歳の頃、母親がヨーロッパ旅行に行く予定でしたが、仕事が入ったためヤマザキマリさんが替わりに1ヶ月間ドイツとフランスを一人で旅行しました。
14歳で1ヶ月の海外旅行!!!
私なら絶対ムリです!!言葉は通じないし、中学生で海外なんて怖すぎ!!って思いました。
さすが、ヤマザキマリさん。そして普通に「代わりに行く?」と送り出したお母さんもブッ飛んでます‥。
そんなお母さんを題材にした書籍があります。⇓
「破天荒な母・リョウコ」これは気になります~!
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そしてこの旅行では運命的な出会いがありました。
パリからドイツに移動する時に老齢のイタリア人陶芸家「マルコ」さんと出会います。
後にも書きますが、このマルコさんのお孫さんが現在の旦那さんなんですね!
ヨーロッパから戻ったヤマザキマリさん、日本の規則や世間体というものに違和感を感じるようになりました。
ミッション系の学校に通っていましたが、高校時代はパンクにハマり、ドレッドヘアやスキンヘッドにしたこともあるようです。
また制服も規制の形が気に入らず、自分でリメイクして着ていました。
そんなヤマザキマリさんですから、学校の先生からの呼び出しも1回ではありませんでした。
とてもおおらかで世間体など気にしないお母さんでしたが、さすがにこれは‥と思ったのでしょう。
17歳の頃にヤマザキマリさんに留学を勧めます。
息苦しさも感じていたヤマザキマリさんは、高校を辞め、イタリアに留学することにしました。
大検を受け、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で油絵や美術史を11年間学びます。
この時、学生アパートの隣人で自称詩人のイタリア人と付き合いが始まります。
このイタリア人の彼は4歳年上でとても知識が豊富で人として魅力的な人でしたが、生活能力が全く無く、ヤマザキマリさんがアルバイトを掛け持ちして生活を支えながら、学生としても勉強を続けていました。
それでもヤマザキマリさんにとっては苦では無かったようです。
当時のヤマザキマリさんにとっては、お金よりも彼の持つ教養が自分のエネルギーとなっていたので、水道や電気が止められ、ろうそくを灯すような生活ですら苦では無かったんですね。
しかし、付き合い初めて10年、27歳の頃に自称詩人のイタリア人彼との間に赤ちゃんが出来ました。
彼のことは大好きでしたが、彼氏と子ども二人を養っていくのは無理だと感じ、出産後、自称詩人の彼と分かれて北海道へ帰国しました。
はい!ここでもぶっ飛びエピソードです!
まず、10年間もいわばヒモ男のために自分がアルバイトを掛け持ちして生活を支えていたというのもスゴイです。
それだけ魅力的な男性だったのかもしれませんけど‥。
そして、シングルマザーとしての一人で子どもを産んで育てる人生を選ぶという覚悟。
スゴイです‥。
帰国を選んだヤマザキマリさんですが、帰国資金がなかったため、資金を稼ぐために漫画を書いて日本のとある新人賞に応募しました。
なんとそれが努力賞に選ばれ、見事賞金を獲得し、無事に北海道へ帰ることができたんですね。
北海道へ戻ったヤマザキマリさん。
息子が1歳になった頃にイタリア暮らしを綴ったエッセーで漫画家としてデビューします。
同時に北海道大学、札幌大学でイタリア語の講師を務めたり、北海道のローカル番組「どさんこワイド」で旅行、温泉のレポート、ラジオのパーソナリティーも務めていました。
そんな生活を続けていましたが、2002年に14歳年下のイタリア人と結婚します。
再び日本を離れ、イタリア人のご主人とともに世界を回りながら、ヤマザキマリさんは漫画を描き続けました。
そして2008年に発表した「テルマエ・ロマエ」が単行本発行部数900万部を超えるベストセラーとなり、漫画対象や手塚治虫文化賞短編賞などを受賞。
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2012年には映画化もされました。
その後も漫画家として活躍しながら、文筆家として執筆活動もし、テレビなどのメディアにもよく出演しています。
最近では2015年より早稲田文学編集委員を務め、2016年には芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞しています。
また2017年には長年イタリアに在住し、芸術家としてイタリアの文化やイメージの普及に貢献した人物としてイタリアの星勲章コメンダトーレ章を受賞しました。
2020年では新型コロナウイルスが世界中で猛威を振るう中、ヤマザキマリさんは「人と触れ合わずに挨拶できるか」ということを研究しています。
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ヤマザキマリの年下イタリア人夫との馴れ初めは?
それでは次に、気になる年下イタリア人夫について調べてみました。
私はてっきり息子さんはこの今のご主人のお子さんかと思っていました!
実は未婚で出産されているので、今のご主人とは初婚同士なんですよね。
ヤマザキマリさんは、2002年に35歳でご主人となる彼の留学先のエジプトのイタリア大使館で挙式し、結婚しました。
その時、息子さんは7歳。
そして、お相手は前項でもお知らせしたように、14歳の時に単身でヨーロッパを旅行した時にお世話になった「マルコ」さんのお孫さん「ベッピーノ」さんです。
なんと、結婚当時のベッピーノさんはまだ21歳の大学生だったんです!
もともとヤマザキマリさんは、ベッピーノさんのご両親、(つまりマルコさんの子ども夫婦)と親交があり、何度か家を訪ねることもあった間柄でした。
考古学などの文学を研究していたベッピーノさんと、古代ローマのオタクだったヤマザキマリさんは、古代ローマやイタリアの歴史などの話で意気投合します。
二人はトイレに行くのも忘れるくらい夜通し語り合ったそうです。
ベッピーノさんはとにかくヤマザキマリさん親子と過ごす毎日が楽しくって仕方なかったんでしょう。
ヤマザキマリさん親子が日本に帰国するお、古代ギリシアの女神像のコピー写真と熱烈なラブレターが送られてきたそうです。
そしてベッピーノさん、ヤマザキマリさんが帰国してしまい、寂しさのあまり食事もできず心身が衰弱し、入院までしてしまいました!
‥どんだけ~??って感じですが、そんなに想われているヤマザキマリさんが羨ましい。
その後ベッピーノさんから電話えプロポーズされたヤマザキマリさんはこれを快諾。
当時、ベッピーノさんの留学先だったエジプトのイタリア大使館で結婚式を上げました。
ベッピーノさんはその後文学研究者となり、家族で中東やポルトガル、などを点々とし、シカゴ大学で比較文学を研究することもありました。
現在はお二人でイタリアに在住しています。
イタリアでの3世代同居でのエピソードを面白おかしく描かれている漫画です!▼
漫画なので読みやすくて面白いと評判ですよ!
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ヤマザキマリの息子はイケメンハーフで年齢や画像はある?
ヤマザキマリさんは一人息子さんがいます。
自称詩人のイタリア人の方とのハーフの息子さんで名前は「デルス」さんと言います。
ちなみに6歳の頃の画像はこんな顔です!
可愛いですよね~。ハーフってだけでなんでこんなに可愛いんでしょう!
そして、17歳になったデルスさんの画像がこちら。
(出典:Facebook)
う~ん。
成長しましたね。
イケメンかどうかは‥。人それぞれでしょうかね!
そんな息子のデルスさんは、ハワイ大学のマノア校機械工学部へ進学し、交換留学生として京都大学にも通っていました。
ヤマザキマリさんとともにいろいろな国で生活してきたので、様々な言語も話せ、かなり優秀だと言われています。
現在25歳になったデルスさんはハワイ大学を無事に卒業されました。
インスタやTwitter、ブログも解説されていて、現在のお住まいは「東京」とあるので日本でお仕事をされているのかもしれませんね。
そしてSNSには旅行先の写真が沢山掲載されています。
これもお母さんのヤマザキマリさんの影響かもしれませんね!
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ヤマザキマリの炎上騒動とは?離婚危機もあった?
波乱万丈で濃厚な生活を送っていたヤマザキマリさん。
ですが、かつては炎上騒動を引き起こし、それが離婚危機にも発展していたようです!
ヤマザキマリさんの漫画で有名なのはなんといっても「テルマエ・ロマエ」です!
漫画は大ヒットし、後に阿部寛さん主演で映画化されることになりました。
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2013年、映画「テルマエ・ロマエ」は大ヒットし、興行収入は約58億円だったのに対し、原作使用料としてヤマザキマリさんに支払われたのは100万円でした。
ヤマザキマリさんが映画の番宣で丸一日拘束されたときもその出演料は無しで100万円の中に含まれていたんです。
それをヤマザキマリさんが当時出演していたテレビ番組で暴露。
ネットでは「そんなに安いのか?」という驚きと、映画の制作にフジテレビが関わっていることからフジテレビへの非難も高まり一時炎上騒動に発展しました。
当時、映画化に伴ってヤマザキマリさんは多忙な毎日を過ごしていました。
そのことで家族と過ごす時間が減ってしまい、更にノーギャラで番宣に出ているという話を聞いたご主人のベッピーノさんが激怒。
一般的に漫画を原作に映画化が行われた場合、原作者である漫画家に支払われる原稿料は100万円~200万円が相場なんだそう。
たとえ映画がヒットしたからといっても成功報酬が支払われる礼は少なく、原作本が売れるんだからそれでいいでしょ?的な雰囲気だそうです。
私も金額を聞いて驚きましたが、そのように思っていた人も多かったようで、ネットでも大炎上!
フジテレビと直接契約をしていたのは出版社だったので、フジテレビに問題があるわけではなかったのですが、アンチフジの視聴者も食いつき、当時はかなりあれた模様でした。
その後は代理人が間に入り競技したことで、問題は解決されました。
‥どのように解決したのか、ちょっと気になりますけどね。
テルマエ・ロマエ炎上騒動当時はシカゴ大学で働いていたベッピーノさんですが、当時はまだ収入も少なく、新しい環境下で必死に家族を養おうとしていた夫と漫画家として大ヒットを飛ばしていたヤマザキマリさんとの間には溝ができ始めていました。
家族で過ごす時間も減り、ヤマザキマリさんとベッピーノさんの間ではケンカも増えていたといいます。
さらにこの頃ヤマザキマリさんは体調を崩すことが多かったようで、ヤマザキマリさんは当時のことを振り返って、「闇黒のシカゴ時代」と語っています。
もしかして、「離婚」も考えたのでは?
と思ってしまいますが、ヤマザキマキさんそんなことでは離婚するような器の志小さな人間じゃなかったようです!
さすが、波乱万丈な人生を送ってきた方だけありますね!
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ヤマザキマリの年下夫との馴れ初めや息子はイケメンハーフ?炎上騒動で離婚危機も?のまとめ
今回は漫画家のヤマザキマリさんの波乱万丈な経歴や年下イタリア人夫のこと、そして息子さんのこと、炎上騒動などに焦点を当てて調べてみました。
もう書ききれないほどの沢山のエピソードをお持ちのヤマザキマリさん。
あのテルマエロマエが面白かったのも納得できました。
現在はイタリアを拠点に仕事でも日本を行き来して活躍されていますが、ご主人とも仲良く暮らしているようです。
ヤマザキマリさんの息子さんも今はハワイ大学を卒業し、日本で生活されているようなので、ヤマザキマリさんともちょくちょく会っているのかもしれないですね!
ヤマザキマリさんの今後の活躍も楽しみです!
さいごまで読んで頂きありがとうございました。
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