本多正識さんとはどんな人なのでしょうか。
芸人さんたちの間では知らない人はいないというスゴイ人らしいのですが私はよく知りませんでした(-_-;)
本多正識さんはよしもとで働いている?職業は何?
アンガールズ、山里亮太とのエピソードとは?
本多正識さんの生年月日やプロフィール、経歴など調べてみたいと思います!!
本多正識の生年月日やプロフィール
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本多正識さんとは一体どんな人なのか。
まずはプロフィールをご紹介します。
名前:本多正識(ほんだ まさのり)
出身:大阪府高槻市
生年月日:1958年生まれ(月日は不明)
年齢:62歳
職業:漫才作家、NSC講師
持病のぜんそくで留年したことで小学生時代にいじめを経験。
高校2年の夏休みに心像発作で倒れる。
24歳まで自宅療養。
療養中にラジオに投稿し、放送作家への道が開ける。
本多正識の経歴は?
本多正識さんはどのようにして漫才作家、NSCの講師になったのでしょうか。
経歴を見ていきましょう!!
1979年ラジオ大阪『Wヤングの素人漫才道場』で11本連続で漫才の台本が採用され、その後それをきっかけに漫才作家を目指す。
そして大阪シナリオ学校通信教育部を卒業し、1983年には漫才作家集団“笑の会”に参加する。
1984年にオール阪神・巨人の漫才の台本を執筆することにより、漫才師や吉本新喜劇へ台本を提供する。
1991年には読売テレビ『上方お笑い大賞・秋田實賞』を受賞。
1990年にNSC(吉本総合芸能学院)、2008年にはYCC(よしもとクリエイティブカレッジ)の講師に就任。
担当した生徒は1万人超え!!
ナインティナインやウーマンラッシュアワー、キングコングなどの人気芸人を育てた。
さらにM-1グランプリ・キングオブコント・THE MANZAIの審査員を務める。
2017年に放送されたNHK連続テレビ小説『わろてんか』で脚本協力、漫才指導をし、近年では著書などで“いじめの無い、笑いのある未来を”というメッセージを子どもたちに発信している。
本多正識の職場はよしもと?職業は何?
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本多正識さんは吉本で働いているのか?
職業は何なのですかね~。
どんな事をしている人なのか一つずつ見ていきましょう!!
漫才作家をしながら吉本興業が運営するタレント養成所で講師をしています。
関西お笑い界でその名を知らない人はいないだろうという位の有名人。
ナインティナイン、ブラックマヨネーズ、友近などの超売れっ子を育ててきました。
なんとナインティナインが昔、ツッコミ・岡村隆史さん、ボケ・矢部浩之さんだったのを「ボケとツッコミが逆や」と指摘したのが本多正識さん!!
岡村さんがツッコミなんて今じゃ考えられないですよね~。
さらに藤井隆さんのオカマキャラを見出したのも本多正識さん。
その他にも宮川大輔さん、中川家、次長課長、麒麟、ジャルジャルなど多くの芸人さんを世に送り出しています。
今日のお笑いがあるのも本多正識さんのおかげですね!!
そして本も出されているんです。
芸人になるためのノウハウや芸人と自身の経験を交えながら生き抜く術、生き残る力とは何なのかを解説したもの、岡村隆史さんとの対談本など読みごたえバッチリな本です。
お笑いの本ばかりではなく、自身のいじめられた体験から今現在いじめに直面し辛い思いをしている人たちに生きて欲しいと思い書かれたものもあります。
著書を紹介します。
『芸人志願~お笑いタレントを目指キミへ~』 2014年12月16日発売
『吉本芸人に学ぶ生き残る力』 2018年12月1日発売
『笑おうね 生きようね:いじめられ体験乗り越えて』 2018年12月12日発売
『素顔の岡村隆史』 2018年12月27日発売
本多正識とアンガールズ、山里亮太とのエピソードは?
アンガールズや山里亮太さんも本多正識さんによって発掘されたようですが、どのようなエピソードがあるのか?
気になりますよね~。
調べてみました!!
“アンガールズが芸人になったきっかけは勘違いから”という驚きのエピソードが!!
これは一体どういうことなんでしょう。
広島の大学のサークルで知り合った二人は共に東野幸治さんのファンということで意気投合し、吉本興業が主催する誰でも参加できるお笑いライブに出場。
それを見ていた本多正識さんが「君たち、東京に行きなよ」と言った事がきっかけで芸人を目指したそう。
しかし後から語られた話によると、素人が出る番組なのでとにかくほめる。人前でしゃべれただけでもほめる。
実際はプロとしては無理だから、万が一プロを目指すのであればキャラクター的に大阪では無理だろうから『東京行き』と言う事だったらしいです。
でも結果的にそれは大成功ですよね。
何気ない一言から始まりここまで有名になれたのですから!!
すごいですね~。
山里亮太さんには大阪のNSC時代に「大阪は無理、東京に転籍させてもらいなさい」と言ったそうです。
大阪弁が出来ない事がハンデになるから東京でお笑いをやった方が言葉の不自由がないからいいだろうと勧めたが、親に芸人になると言い関西の大学に入学したため東京には帰れないと、大阪で頑張りました。
授業もとてもまじめに取り組んでいて質問タイムには本多正識さんと1対1のやり取りになったくらい努力家だったようです。
同期にはキングコングの西野亮廣さんがいて、この才能と闘うには努力しかないと自覚していたそう。
その努力があって今があるのでしょう。
今では女優蒼井優さんのご主人ですからね!
まとめ
関西のお笑い界で知らない人はいないと言われる本多正識さん。
漫才作家であり、講師でもあり、いじめられて辛い思いをしている子たちに笑って生きようとお笑いを通して呼び掛けたりと、とても多才な方でした。
今、第一線で活躍されている方たちをたくさん育ててこられ、これからも面白い人達をたくさん世に出していって欲しいですね。
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