2021年11月から古巣の日本ハムの監督に就任した新庄剛志監督ですが、実家がお金持ちなのか何処(住所)なのか等、気になりますよね。
今の新庄剛志を作ったのは「家族」だと新庄剛志監督自身がお話しされているように、ご両親の考えや姉の存在は母なり大きかったようです。
破天荒でポジティブな新庄剛志監督ですが、両親(父親母親)や姉はどんな人なのか?も含めて調査・ご紹介していきますね。
新庄剛志監督の現在の北海道の家も調査してます!庭にサウナがあるんですよ~
新庄剛志の実家が金持ち?
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新庄剛志監督の実家は、造園業を営んでいたそうです。
新庄剛志監督のご家族は、父、母、姉の4人家族です。
新庄剛志監督の実家は、新庄剛志監督のあの雰囲気からするとお金持ちそうですが、実はスゴイ貧乏でした。
新庄剛志監督の子供の頃は、
- 新庄剛志監督の父の軽トラックは26万キロも走っていた
- 新庄剛志監督の父の軽トラックの窓は割れていて冬場は、ゴミ袋をガムテープで止めて走っていた
- トイレは水洗ではなくボットン便所だった
- 新庄剛志監督の実家の朝晩の食事は茹で卵だけ
- 新庄剛志監督の実家では姉と一つのラーメンを二人で分けて食べていた
- 新庄剛志監督の子供の頃は、スパイクが買えず学校の上履きで野球をしていた
- 新庄剛志監督が小学生の時に靴を買ってもらったのは、一回だけ
新庄剛志監督の実家にはシャワーがなく、五右衛門風呂。
しかもその五右衛門風呂の水は一週間そのままで使っていて、とにかくありえないほどの貧乏だったと新庄剛志監督はインタビューで語ってます。
新庄剛志の実家の住所はどこ?
新庄剛志監督の実家の住所がどこなのか調査したところ、福岡出身というのは間違いなさそうですが、実際に生まれた場所は別でした。
新庄剛志監督が産まれた場所は、新庄剛志監督の母・文子さんの実家、長崎県下県郡美津島町(現・長崎県対馬市)です。
新庄剛志監督が産まれた対馬は、周りが海で囲まれた美しい景観と自然が多く約90%近くが山地となる南北82キロ・東西18キロの島です。
新庄剛志監督の母の実家の対馬の大自然の中で過ごした子供の頃、2歳の時に父・英敏さんにこの対馬の綺麗な海に放り投げられて泳いだりもしてたそうです。
一見すると、かなりワイルドな感じの父・英敏さんですが、なんと新庄剛志監督は生後7カ月で歩いて、8カ月目には走っていたという生まれた頃からの脅威の身体能力だったみたいですね。
対馬の大自然の中で、たくさんの遊びの中から様々な身体能力が更に高められていったのかもしれませんね。
新庄剛志監督が産まれた場所(出生地)は、新庄剛志監督の母・文子さんの実家対馬でしたが、出身地としては詳しい住所は分かりませんが、福岡県福岡市南区のようです。
新庄剛志の両親(父親母親)はどんな人?
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新庄剛志監督の両親はともにとても気が強く豪快だったようです。
新庄剛志監督の父・英敏さんは1941年生まれで、ガンで2011年70歳で亡くなっています。
新庄剛志監督の母・文子さんは、誕生日は定かではないのですが1944年前後生まれで77歳前後です。
ご両親とも運動神経が良く、それを受け継いでるようですね。
母 四畳半の部屋で新庄剛志を産む!?
新庄剛志監督は母の実家の対馬で産まれましたが、実は病院ではなく実家の四畳半の部屋で産まれました。
そのせいなのか、新庄剛志監督はいまだに四畳半の部屋に行くととても落ち着くと話しています。
産まれた瞬間の新庄剛志監督は、とても大きく父・英敏さんが当時活躍していた「剛力山」というお相撲さんの「剛」と、志ある人間に育てたいということから「志」を使って、「剛志」と名付けたそうです。
気性が荒すぎる新庄剛志監督の母、包丁沙汰も!?
新庄剛志監督が母について語ったエピソードに、酔った父が母を起こしたことに腹をたてた母が台所から包丁を持ち出したことがあるという強烈な話をされていました。
気性が荒いとはいえ、包丁沙汰はなかなか見かけることはないでしょう、新庄剛志監督の父・英敏さんは合気道をやっていたため、うまくその包丁をかわし大事に至らなかったようです。
両親ともに気性が荒く夫婦喧嘩も絶えなかったそうですが、子供への愛情はたっぷりと注がれていたからこそ今の新庄剛志監督がいるのでしょうね。
新庄剛志 父に暗示をかけられる?
ビックボス・新庄剛志監督の父・英敏さんは、子供の頃にお寺で育ったこともあり、人の気持ちというものを何よりも大事と新庄剛志監督を育てられました。
人の気持ち次第で・・・というエピソードを新庄剛志監督がTwitterで公開されていました。
合気道の先生をしてたお父さんに、小学2年生の時に頭が痛くて頭痛の薬を頂戴とお願いしたところ甘えるな💢 しかし数秒後に今日だけやぞ と薬をくれた
喜んで薬を飲んだら2分で頭が痛いのが治った
お父さんに有難うと伝えたら、剛志 人間気持ちばいその薬は下痢止めだった
— 新庄剛志 (@shinjo_freedom) November 23, 2021
すっかり、頭痛薬だと思って飲んだら実は下痢止め。
「人間気持ちばい」というお父さんの言葉を素直に、その時新庄剛志監督は気持ちでなおせるんもんなんだと思ったそうです。
この時にお父さんの「人間気持ちばい」は、その後の新庄剛志というスーパースター選手の成功のイメージ、自分は成功する、楽しむなどプラス思考に繋がっていったのかもしれませんね。
7,500円のグローブだけで一流選手になれたのは父の影響!?
ビックボス・新庄剛志監督は、物を大事にすることを教えてくれた父の影響をとても受けていると話しています。
造園の仕事で使う道具をどんなに疲れていても毎日必ず丁寧に磨いて仕事を終える父の姿を見続けてきたことがビックボス・新庄剛志監督のその後の人生、野球人生にも大きく影響していました。
新庄剛志監督が初給料で買ったZETTの7,500円のグローブ、このたった一つのグローブを使い続けたそうです。
プロ野人生このグローブが駄目になるまでこれ一個で一流選手になろうと心に決めて、父のように大事に使ってきたグローブでした。
そのグローブですが、ガンで亡くなったお父さんの棺の中に入れたそうです。
【新庄剛志】
プロ野球人生17年間、1つのグローブを使い続けた。メジャー、ファイターズ時代もずっと阪神入団時の「63」の刺繍のものを使用していた。新庄にとっては本当に身体の一部だったんですね。 pic.twitter.com/hBqkjAPNd4
— グラブ博物館 (@glove_bb) April 5, 2013
新庄剛志監督の父・英敏さんは、本当は運動神経が物凄く良くて野球選手になりたいと思っていたそうです。
しかし、若い頃に盲腸になってしまい病院に行くことが出来ず破裂してしまい野球選手を諦めるしかなかったという残念な過去が新庄剛志監督の父・英敏さんにはありました。
その事もあり、子供には野球選手になってほしいと思っていたのですが、幼少期に新庄剛志監督の身体能力の高さを目の当たりにした父・英敏さん野球選手でいける!と思ったようです。
野球だけで勉強はしなくていい!?
新庄剛志監督の父・英敏さんは、勉強も野球も両方やってたら、野球で突き抜けることはできないから「勉強はせんでええ」と言っていたそうです。
良いものを伸ばしなさいという考えが新庄剛志監督の父・英敏さんの教えで、新庄剛志監督は全然勉強はしなかったと話してます。
しかし、高校進学の時は西日本短大附属高校に一般受験で入りなさいと父・英敏さんは新庄剛志監督に言ったそうです。
その時ばかりは勉強頑張ったみたいですね。
衝撃の事実!新庄剛志が先生を殴った時の父の一言
高校卒業後一度も語ることがなかった衝撃の事実として動画のインタビューで新庄剛志監督が当時の話を語っています。
高校3年のテストの時間、クラスの女の子がテストが早めに終わりテスト用紙の裏面に絵を描いていることに先生が、やめるように叩いて怒ったことがあったそうです。
その時、その子が絵を描くことをやめなず何度か叩かれている姿を見て、高校生だった新庄剛志監督が先生に向けて「次叩いたらいきますよ」と言ったそうですが・・・
その女の子がまた叩かれ、どうしても女の子に手をあげる先生が納得がいかず先生に殴りかかってボコボコにしたそうです。
当時の野球部の監督からは「何をしでかしてんだ、プロ野球決まってるじゃないか」と言われ、学校側からはプロ野球には行かせられないと言われたそうです。
すぐに新庄剛志監督の父・英敏さん呼ばれたのですが、殴った事実を話しても理由は聞かなかったそうです。
でも、その先生に叩かれていた女の子が事情を父・英敏さんに説明しに来てくれたそうです。
その女の子の話を聞いた新庄剛志監督の父・英敏さんは、「よし剛志、プロ野球いかなくていい、お前は間違っとらん」と帰って言ったそうです。
その時のことを、殴ったことはやってはいけない事であり、本当によくないことだったとしながらも、新庄剛志監督は、人としての成長を父が認めてくれたことが凄く心に残っていると話しています。
学校側も事情を聞いて、まずは髪の毛を五厘にして、反省の気持ちを込めて学校の清掃や窓拭きをやることでプロ野球にはいけることになったようです。
新庄剛志の姉はどんな人?
新庄剛志の姉画像なんだって! pic.twitter.com/w3T8D9ASKo
— 気軽なトレンドニュース♪ (@zsBCGdZyobcwqV4) April 20, 2020
ビックボス新庄剛志監督の姉・真由美さんは学生の頃は、成績優秀・スポーツ万能、しかも美人という誰もが羨む新庄剛志並にスゴイ女性だったようです。
ビックボス新庄剛志監督自身も、いつ姉が勉強してるのかわからない、勉強している姿を見たことがないのに何故いつも良い点数を取れるのかが不思議だったそうです。
姉にその真相を聞いたところ、「先生の話を聞いていたら分かる」とカッコイイ一言。
当時、新庄剛志監督の姉・真由美さんは偏差値76の進学校に通っていたという事ですが、おそらく久留米大学附設高等学校に通っていたのではなかと言われています。
新庄剛志監督の姉・真由美さんは2歳上と言われているので、2022年1月現在は51~53歳(誕生日は不明)。
あるテレビ番組で新庄監督が姉は難病で闘病生活を送っていると話をされていました。
病名は公表されておりませんが、ALS(筋萎縮性側索硬化症)ではないかと言われています。
10万人に7~11人明確な原因が不明で、治療方法が確立されていない病気です。
全身の筋肉が萎縮して徐々に力が入らなくなってしまう病気です。
進行していくと自分の力では呼吸もできなくなる大変な病気ですが、なんとか一日でも早く、進行を遅らせる薬や完治出来る治療法が確立してほしいですね。
新庄剛志の実家は金持ちで住所は?両親(父親母親)や姉はどんな人?のまとめ
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新庄剛志監督の実家は金持なのか住所は?と気になっていた人も多いと思いますが、子供の頃はとても貧乏な生活をされていたようですね。
破天荒でポジティブな新庄剛志監督の両親やお姉さんも素敵な方でしたね。
日本ハムファイターズに監督として戻ってきてくれた新庄剛志監督ですが、北海道民・札幌市民が野球好きに限らず何か楽しいことしてくれるのではないかと期待していることでしょう。
今後が楽しみな野球界ですね。